歴史・沿革

村上小学校の歴史

村上小学校は、1873年(明治6年)、 前年に公布された学制(がくせい)により、今も村上にある正覚院(しょうかくいん)という、千年以上も続いているお寺を仮校舎として始まりました。その時はまだ、先生は一人だけで、児童は男子32名、女子3名の、35名の学校でした。

その後、現在の八千代市立郷土博物館の場所に、校舎を建設して移転しました。1887年(明治20年)には、前年に公布された第1次小学校令により、校名を村上尋常小学(じんじょうしょうがっこう)、1941年(昭和16年)4月には、国民学校令により、村上国民学校と改めました。そして、1947年(昭和22年)4月に、学制改革により、村上小学校という名前になりました。

1976年(昭和51年)には、村上団地の造成に伴い、鉄筋コンクリート3階建ての本校舎、4階建ての北校舎からなる現在の校舎に移転して、今に至っています。

今年(2018年現在)で、村上小学校は創立145周年を迎えましたが、村上小学校以外の学校では、大和田の円光院(えんこういん)に大和田小学校、米本の善福寺(ぜんぷくじ)に阿蘇小学校、睦の妙光寺(みょうこういん)に睦小学校のそれぞれの前身となる学校が、ほぼ同じ時期に作られています。そして、それぞれの地域では、皆でお金を出し合って立派な校舎を建て、移転していきました。その結果、これらの4校が、八千代市では100年以上の歴史を持つ伝統校として、現在に至っています。

学校の沿革

明治6年
9月
正覚院を校舎として、教員1名と児童35名(男子32名・女子3名)の学校ができた
明治40年
7月
校舎落成 開校式挙行(現,郷土博物館)
昭和16年
4月
学制改革により,村上国民学校と改称
昭和22年
4月
新学制,印旛郡阿蘇村立村上小学校となる
昭和29年
9月
町村合併により,千葉郡八千代町立村上小学校となる
昭和42年
1月
市制施行,八千代市立村上小学校となる
校歌が完成し発表会が開かれた
昭和48年
10月
創立100周年記念式典や大運動会を開催
昭和49年
4月
現在の村上小学校が完成。6月に新しい校舎に引越
12月 新校舎・体育館・プール落成祝賀会
昭和51年
4月
村上東小学校の分離
昭和53年
4月
村上北小学校の分離
昭和55年
3月
北校舎の増築
昭和58年
3月
西校舎の増築
平成2年
11月
地域図書館開設
平成3年
10月
和室完成・校舎連絡通路改修
平成4年
2月
パソコン室完成
平成14年
2月
体育館大規模改修工事終了
平成16年
9月
ふれあいの小路開通
10月
正門門扉完成
12月
3階連絡通路防水工事完成
平成27年
2月
耐震工事完了

 

学区について

本校の学区は、昭和43年頃までは、どこにでも農村が広がる自然豊かな地域でした。
昭和43年に入ると、国道16号線の開通、京成電鉄勝田台駅の新設竣工、上高工業団地の造成などがあり、地域の変化を促す開発が、学区および近隣に相次いで起こりました。

これらのことによって、学区内の都市化も急速に進展しました。さらに、昭和48年には、住宅公団による上団地造成と、それに伴う周辺の宅地開発が進み、地域の変化に拍車をかけることとなりました。

このような経過をたどり、農村と住宅地などの地域的な特徴を持ちながら、お互いに調和した街ができあがってきました。これらの変化は、昭和57年にピークを迎えた後、開発はしたいに減少に転じていきました。しかし、平成8年4月に東葉高速鉄道が開通し、村上駅の新設に伴って、大規模マンションの建設や農地が宅地に変わるなどして、第2の変革期を迎えました。平成21年度からは、通学区域再編成が実されて、児童数の増加は抑えられています。

現在は、駅周辺に大型店舗を中心とした商店街や大規模マンションが建設され、現在にいたっています。

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