はじめに
私たちの町「大和田」は古い歴史の町です。
大和田の名前は、江戸時代に庶民が力をつけ、旅行を楽しむようになってから知られるようになりました。
大和田は成田街道の宿場、大和田宿としてたくさんの旅人を迎え、送り出しました。
文久3年(1863年)の5月から6月にかけて、実に1436人の宿泊客が記録されています。
近江屋、中村屋、若竹屋、東屋、舛屋などの旅篭が軒を並べていたそうです。
佐倉藩の殿様や香取郡の多古の殿様の行列も通り、本陣もありました。
道しるべ
「いづな権現道」と大きな意石に深く刻まれている。
天保4年(1833年)のもので、成田街道から飯綱神社への道しるべです。
飯綱神社の境内では、毎年「市」がたち、近郷近在の多くの人々でにぎわったそうです。
時平神社
時平というめずらしい名前の神社が、大和田地区には3つもあります。
「時平」というのは、平安時代前期の人で菅原道真を太宰府へ左遷させた人物として有名です。
この時平が祭神として祭られています。
藤原時平を祭る神社は、ほかに船橋市の二宮神社と習志野市の菊田神社があります。
これらの神社は七年に一度の大祭を一緒に執り行っています。
印旛沼と新川
印旛沼掘割り工事の図(続保定記)
印旛沼の水を江戸湾におとし、水害を防いだり荷物を船で運んだりするために、江戸幕府は工事を5人の大名に命じました。
天保14年(1838年)のことです。
このため、山形県、鳥取県、福岡県、静岡県、千葉県の貝淵からたくさんの人が働きにきました。100万人以上の人が働いていたそうです。
この工事のために二宮尊徳、江戸町奉行の鳥居甲斐守などの有名な人も大和田に来て泊まっています。
しかし、難しい工事のため、途中で中止になってしまいました。
この工事は後の人にも引き継がれ、1969年に完成し、今は水害の心配もなくなりました。
広々とした水路に、今たくさんの水鳥が遊び、市民のいこいの場所になっています。